○セロ弾きのゴーシュ
2006年07月10日
毎日の積み重ね
正午月齢14.5 日

満月まであと1日
もうほとんど満月!
新月で始まった方向性が、頂点に達するから
良くも悪くも、結果がはっきりと現れてきてるよぉ
●13の月暦(マヤ暦)13月14日
今日1日が、あなたにとって
特別な1日であることをよくかみしめる日
毎日の積み重ねがいつのまにか1年に
「毎日学ぶこと
毎日書くこと
毎日仕事を続けること
毎日の積み重ねが
ぼくらの血肉をつくっていく
ぼくらの自信をつくっていく 」
西尾征紀の詩の世界から
わかりやすくてすっと沁みこむ詩ですねえ
心作りもダイエットも美容も健康も
みーんな毎日の積み重ね
わかっちゃいるんだけどねえ
でもこうやってリズムをつくっていけば
なんだか張りもでる
せっかくの満月前夜なんだから
今日は心して、1日を過ごしてみましょうか
★自然のリズム気の流れ 宮沢賢治

セロ弾きのゴーシュ
楽長は立って云いました。
「ゴーシュ君、よかったぞお。
あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。
一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。
十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。
やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」
仲間もみんな立って来て
「よかったぜ」
とゴーシュに云いました。
毎日毎日必死にチェロをさらうゴーシュと
三毛猫、カッコウ、子狸、野鼠母子と入れ替わりに訪れる来客たちの交流
少しづつ少しづつ欠点に気づく毎日の積み重ねv(*'-^*)-☆
★“もっと野菜をもっと果物を”かぷかぷ商店

いつか開きたいカスタードが書いてます
( ´ー`)y-~~
さあ今日もまたあなたもわたしも
ナチュラルでhappyな1日でありますように
o(*⌒O⌒)b
2006年02月14日
セロ弾きのゴーシュ お父さん
月齢 15.5
■父さん、許して
今日は宮沢賢治の セロ弾きのゴーシュ。 下手なセロ(チェロ)弾きのゴーシュが動物たちの毎夜ののレッスンで、みごとなセロ弾きに成長する物語だ。 ゴーシュという名前は、フランス語で「左の」を意味するゴーシュからきているのが定説だそうだ。 「不器用な」という意味もあり、いかにも「セロ弾きゴーシュ」にふさわしい。
ところが、ゴーシュの名は「ドイツ語の『かっこう』からとった」という説がある。
「《ゴーシュ》という名前」海津時比呂(東京書籍) それを知って読むと、最後のかっこうへの呼びかけは「許されたい、理解されたいという父への賢治の必死の思いを反映している」というのだ。
■自然のリズム気の流れ 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ
『「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」 仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云いました。「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通の人なら死んでしまうからな。」楽長が向うで云っていました。 その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。 そしてまた水をがぶがぶ呑みました。 それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。』
■暮らしに恋愛
宮沢賢治と父宮沢政次郎との葛藤は永く続いた。 実業と研究の進路の問題、浄土宗と法華経の信仰の問題、財閥と貧困農村の立場の問題など、さまざまな対立があった。 冒頭のように解釈できることはうれしいことではある。
所変われど変わらぬものは 人の情けと袖時雨 父性。離婚した家庭の子供が求めるもの。 「「おとうさん」というものを考える。この頃、ムスメは彼にすごくなついている。嬉しいことだ。」 離婚した後、今の彼とムスメさんとの日常のなにげない景色を切り取っている。 記事から、力まずまじめに取り組む志を感じた。
■みずみずしい子育て
megu 毎日がX’masイブのような日だったらいいのにネ! 父との事を紹介する。 暴力的な父親から与えられ続けた心の傷という痛々しい現実に正対するmeguさんの凛とした立ち位置に勇気を与えられる。 父親との関係に苦しむ人は多い。 R30マーケティング社会時評 過保護の親に子育ての資格はあるか?に、 「子育てに限らず、他人とのつき合いを「損か得か」「こっちの論理か相手の論理か」みたいなゼロサムでしか考えない人が増えた。 それはやはり、人づき合いはゼロサムではないと教える地域内や年代を超えた人の絆がなくなったからだろう。」 という記事がある。まったくその通りで、親に傷つけられ、子どもに傷つけられる家族は増す一方だ。 少子化問題は、ここに希望を持たせる社会に変えていかないと、絶対に解決しないのだが。
2006年01月23日
セロ弾きのゴーシュ 不安の中に希望
今日1月23日は「123」で「ワンツースリー」とよむ語呂合わせで、人生に対してジャンプする気持ちを持とうという明るい希望の日だそうだ。
誰が考えたんだろう?聞いたことはないが、楽しいので、これに合わせて今日は明るい作品を選んだ。
■自然のリズム気の流れ 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ
『 「ゴーシュ君、よかったぞお。
あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。
一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。
十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。
やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」
仲間もみんな立って来て
「よかったぜ」とゴーシュに云いました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。
普通の人なら死んでしまうからな。」
楽長が向うで云っていました。
その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
そしてまた水をがぶがぶ呑みました。
それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った
遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。
あのときはすまなかったなあ。
おれは怒ったんじゃなかったんだ。」
と云いました。 』
■こころに恋愛
下手なセロ(チェロ)弾きのゴーシュが動物たちの毎夜のレッスンで、
みごとなセロ弾きに成長する明るい結末だ。
賢治の作品にはユーモアがあふれている。
浅草オペラ、庶民的なアチャラカ喜劇に目がなかった。
この物語じたいが喜劇仕立てで、「人生、希望を持とうぜ」というメッセージを告げている。
心の浮き立つ演奏会になったその夜、ゴーシュは透明な、自分がからっぽになったような澄んだ気分になったことだろう。
すると忘れていた、せっかくの親切な言葉に耳を貸さずに冷たく当たったかっこうのことが思い浮かんだ。
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」
という最後のセリフは、しみじみとゴーシュの人間性を浮き彫りにする。
賢治の作品は、希望の中に不安があり、不安の中に希望がある。
切ない胸のうちとからりと晴れた心持が同居する。
今日の話では、かつて傷つけた者へわびる思いが、
希望の明日にさみしげな色合いをそえている。
手放しの明るさではないけれど、それがいかにも賢治らしい。
今日にふさわしいブログをと探していたら、杉村太蔵ブログ タイゾーの三日坊主を見つけた。
彼に対しては、なんであれが議員なんだかなあという苦々しいイメージを持ってたが、バックナンバーなんかをずらっと読むと、毎日が不安と明るさがないまぜで、訳知り顔の年寄り政治屋などよりずっと好感が持てた。
どこの政党でもいいから、若手の志あるひとたちのワンツースリーに期待する。


